2011年1月27日木曜日

逆学歴コンプレックス

思春期の頃の自分が一番嫌だったのは
どうせエリートなんでしょ、という扱いだった。
高校の名前を出せば殆どの人が、頭良いんだね!という。
もうその時点で僕は色眼鏡で見られている気がしてとても嫌だった。

それだけが全ての理由じゃないけど僕は学歴ってのに嫌気がさして地方に逃げた。
それはそれで興味深い事に気が付いた。
たまに出身高校の名前を本当に知らない人に会うと、あれ?知らないの?
とちょっと思ってしまう自分が居たのだ。

もっと分かりやすく内面が表在化したのは将来の事を考えた時だった。
僕は凄く牛の臨床が好きだった。
農家さんと話すのも好きだったしダイナミックな手術も好きだった。
何より人の役に立っている事が何より実感できるのが好きだった。
途上国で働きたかったから、そこで牛の獣医として働くこともかなり考えた。
だけど、それには迷いなくYesとは思えなかった。

頭を色々な物がよぎった。
牛を一頭一頭見てるだけではきっと根本的な貧困の解決にはならないだろうな、とか
それで生活していけるのだろうか、とか…
でも何を隠そう一番引っかかったのは
「もっと他に自分が進むべき道があるのではないか?」という考えだった。

思春期の自分が欲してたのは
一人の人間として人と付き合う事。
だけど蓋をあけたらそれはただの”逆学歴コンプレックス”だった。

ある一定以上の学歴を経たならそのまま良い会社に入って良い社会的ステータスを得るべきとかが
恐らく日本社会の常識であり社会通念である。(と僕は思う)

もしかしたらある程度は世界で普遍的な物かもしれない。
だけど間違いなく今僕が生きる環境では日本に比べ格段に
「自分が本当にやりたい事をやる人生を時間をかけて探せ」という意識が強い。

そういう環境に居るからこそ、そして逆学歴コンプレックスも全く感じない外国だからこそ
(代わりに今は先進国出身コンプレックスという物がある事を発見した)
そしてここだから出来た人々との出会いによって
僕は上記のような自分に巣食う無意識の呪縛を感じ取れた。
これは、あえて人と違う道を歩くとか常識外れがカッコいい、とかでも無いんです。
自分から自由になる事。

まぁ本当に下らない、だけど避けては通れない事です。
今までだったらブログになんて書けなかったと思います。
でも例え良い肩書を持っていても、どう考えても僕は死ぬ時にそれだけで人生に悔いなしとは思えない。
だからこれから自分の本当にやりたい事を時間をかけて探します。
(疫学の道は進み続けます。)
来年はPhDには行かないよ…親不孝でごめんなさい(苦笑)

本当はこういうのも日本に居ながら克服出来るのが本物かと思いますが
僕は多分全然可能性が無かった。
こういう所が海外に出る、っていう事の醍醐味かなと思います。
日本の常識を非常識に!
その次は世界の常識を非常識に、かな?

2011年1月25日火曜日

留学のための英語(番外編その2)

昨日の記事を書いていて
しょーも無い事を思い出したので一応書いておきます。

留学したいんです、と公言する事で多くのアドバイスが得られた事は前回書いた。
貰ったアドバイスの中でどうしても達成できなかったのは
オーストラリア国立大学の学長を新千歳空港まで送るハイヤーの中で言われた一言。

「留学したいの?英語しゃべる彼女作るのが一番だよ。」

彼はそれはそれは偉い人のはずなのだが(去年また表彰されたみたい。)
彼がどこまで本気だったのか未だに真意は分からない。

帰国後、オーストラリアの有袋類の本をわざわざ送ってくれた。
こういう事が出来る人間に僕もなりたいものである。

2011年1月24日月曜日

留学のための英語(番外編)

英語はテストの点数を取るという意味だけでなく
違う観点から留学の可能性を拡げるという経験をしたので書いておきます。

僕の学部ではTOEFLである点数を取ると少額のお金が貰える、という奨学金があります。
ハッキリ言ってその点数は大学院留学するには全然足りないレベルだし
真意は今一図りかねるのですが、もちろん貰えるものは喜んで頂きたいので申請しました。
その奨学金を貰ったのは学部・大学院生を入れて僕が2人目で
TOEFLの事を良く知らない学部の先生達は僕の取った点数に驚いたようです。
誤解の無いように言っておきますが僕のスコアは留学するのにギリギリ最低限必要なレベルなので
大層な物ではありません。留学する人は皆取ってます。
ただそんな反応を見て僕は何か予感がしました。何かきっと英語関係でチャンスがやってくる…。

予想は的中し
6年の夏にエジンバラ大学から学生と先生が大学視察に来た際の通訳を直々に頼まれました。
結果的にこれは僕の人生を変えるイベントとなりました。
進学先をその後になって考えた時、行きたい博士課程先を絞った際にOxford,Liverpool,Edinburghが残りましたが
Edinburghの先生(エリック)にメールする際に、夏に来日した先生に先にエリックの事を知っているか聞きました。
するとその来日した先生は、エリックにメールをしてくれ、エリックが僕にメールをくれたのです。
エリックの所に行く事は現時点で白紙になりましたが
彼と出会って居なかったら彼に紹介して貰った沢山の先生に出会う事も無かったし
彼らからここの修士課程をするアドバイスも受けなかったでしょう。
本当にどうなっていた事やら…と思います。
そしてそれは全て6年の夏に通訳をしていなかったら無かった事だと思うのです。

早いうちから英語が出来て損をする事は決してありません。
僕の英語勉強のスタートは4年生と大分遅めでした。
結果的に5年生の夏に受けた初めてのTOEFLでビギナーズラックで留学ラインをクリアしたので
かなりその後、精神的にも肉体的にも楽でした。(楽をし過ぎた。)
5年生の夏=卒業年の前の年、というのは遅すぎる位だと思います。
いつかは受けるものなら早めにTOEFLを受ける事をお勧めします。
獣医学部生であれば3年、4年。
一年間モチベーションを持って努力すればTOEFLの点数は取れます。
5年後期や6年に入ってからTOEFLを初めて受けて泣く泣く留学を諦める人も見ました。

モチベーションを保ち留学を成功させて下さい!
いつでもご相談下さい。

留学のための英語(3)後半

(3)仲間を持つ、夢を語る

世の中には色んな考え方の人が居ると思いますので
今回の内容は参考程度に考えて下さい。

僕はいつだったか旅先で出会った人に
「自分の夢を口にする事は重要だ」という話を聞いて以来
出しゃばってもムカつくと思われても何でも
恥ずかしがらず自分のやりたい事・目標・夢を口にするようにして来ました。

僕のやりたい事は大学生活で何度か転換を迎えましたが
軸がぶれていると思われようが夢見がちだと思われようが
必要な時は自分の考えがどう変わったのかも含めそれを口にしてきました。

(いや常にペラペラ言ってる訳じゃないですよ)

僕は個人的にこれはとても良かったと思っています。
そのお陰で興味を持ってくれた人も沢山居たし
特に色々な大人の皆さんが僕に手を差し伸べてくれていつも助けてくれました。
そして色んな人の色んな意見を聞くことが出来ました。
個人的にはバランスを欠いた偏りすぎた視点に陥ってしまうのが嫌だったので
肯定も否定も受け入れニュートラルで居られるよう気を気を付けました。

6年になる時にWHOのジュネーブ本部でインターンする機会を頂きましたが
それも元は僕がワーワー言っていたのを聞きつけてくれた他学部の先生の助けがきっかけでした。
学部内でも「留学する」と早々に宣言していました。
ここでも色んな先生から色んな意見を聞く事が出来ました。
またそれだけでなく留学宣言は堕落しがちな自分を追い込む良いツールでもありました。
4年の時に先輩に
「そうやって留学を口にする人は多いけど皆結局出来ずに違う道を選ぶよ。」
と言われ馬鹿にされた気持ちがしましたが(笑)その悔しさをバネに頑張れたのも事実です。
また英語の点数が足りなくて結局留学出来なかった…となった時に
大きい口を叩きながら結局妥協したのかよ…と思われるのも癪でした(笑)
これらは些細な下らない事かもしれませんが役には立ちました(苦笑)

留学したい、という事を知って具体的なアドバイスをくれる人も沢山居ました。
英語の勉強の仕方などアドバイスを貰う時もありました。
前項同様に、同じく留学したいと思う人達に出会えました。

学生のうちの夢は自分勝手な物で良いと思います。
僕の夢もまだある意味、自分勝手なままです。
それでも良くしてくれる人生の先輩方は沢山います。
僕は恩返しも出来ていないし時に恩を仇で返してしまった事もあります。(これから返します)
それでもやはり夢を語らない事には始まりませんでした。

ここまでのまとめ。
英語の学習より大きな話になってしまいましたが
英語の勉強も含めて個人的には夢を語る事が重要だと思います。

留学のための英語(3)前半

(3)仲間を持つ、夢を語る

留学に一番必要なのは何よりモチベーションです。

僕はどこまでも堕落できる人間なのでモチベーションの維持が最大の課題でした。
どうしても楽な方楽な方へ流れて行ってしまう。
環境に関わらず自分を律する事が出来る人であれば問題ありませんが
僕は周囲の環境に大きく影響を受けてしまう人間です。
(受験戦争の弊害かと理解しています…笑)

という訳で前回の項とも重なりますが
僕は色々な所に顔をだし常に自分を刺激下に置くことを心がけました。
そして幸いにも志を高く持ち努力を続ける仲間たちと出会えました。

そういう意味で大学生活の中で一番大きな出会いはStudent Ambassador(SA)の皆との出会いでした。

大学5年の時、洞爺湖でのG8サミットが開かれたのに乗じて
アカデミックからサステナビリティに提言を、というコンセプトで
国内外の大学を集め3日間の会議が開かれました。
(詳しくはhttp://g8u-summit.jp/)

この会議に参加する海外の大学の学長や関係者の
案内や通訳など諸々含めたお世話をするという内容で有給で学生を募集したものがSAでした。
どんな基準で選考されたか分かりませんが書類及び面接があり僕もその一人として採用され
オーストラリア国立大学の学長さんと会期を過ごしました。

この経験が良かったのは
世界で初めての大学サミットという試みに参加できた事や
それが無ければ人生で会う事も無かったであろう各大学の学長さんに会えた事
はたまたホテルの美味しいご飯を食べた上にお金も沢山貰った事…というよりは
先にも書いた通り、志を持つ多くの友人に出会えた事だと思っています。

特に皆海外への興味が強く多くが留学してきた人、これから志そうとする人達でした。
専攻も年齢も全部バラバラ。
それぞれがそれぞれの分野で面白い事をしていて、かなり刺激的な集団でした。
また僕は学部では留学の情報も一切入って来なかったし
留学をしたい人があまり身近に居なかったので
海外を志す学生たちとの出会いは非常にモチベーションが上がりました。

その中の一人、このブログでもお馴染みのyu君
現在カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に留学中でplanningを勉強しています。
彼は帰国子女でもありますが僕らの中でも飛びぬけて英語が出来る存在で
TOEFLも満点近くとってしまう凄い人です。(ばらしてごめん…笑)
彼が色んな場面で通訳をしているのを目にしてはとても刺激を貰っていました。
勉強だけでなく留学の情報やその他本当に色々な場面でお世話になり
彼のアドバイスのお陰で、僕も彼と同じ奨学金財団から奨学金を貰う事が出来ています。
留学の一番の恩師です。

ここまでのまとめ。

刺激し合える良い仲間を見つける。

SAの皆


~次回、後半の「夢を語る」に続く

留学のための英語(2)

(2)英語を話す

当たり前ですが英語の文法がいくら出来ても、英語は喋れません。
TOEFLはTOEFL-iBTになってから「使える英語」をさらに測るようになったと思います。
ですから英語を使えるようになるのはTOEFLの点を取るという目的にも合致します。

逆に言えばそこまで文法は出来なくてもTOEFLの点は取れる可能性があります。(最低限は要ります。)
とにかく話して話して実践する事です。
僕が実践したことは、前回書いたように喋る機会のある授業を取る事。
そしてその他でも英語を喋る機会をとにかく貪欲に追求しました。

一番簡単にできる事は留学生と話す事。
そして、僕らの周りに居た留学生は決まって皆ある程度寂しそうでした。
日本への留学って日本語が出来ないと本当に孤独だと思う。
最初は自分の為の勉強でしたが
そのうち目的は留学生と日本人学生をいかに繋げるかに変わりました。
5年次に学部のイベントを自分達で企画できる立場になって
僕は密かに留学生をどう巻き込むかをメインに考えていました。
結果的に留学生も喜んでくれたし日本人学生も賛同してくれる人が多くて
2年間で学部以外でも沢山のイベントを達成できました。
英語が喋れないと話かけ辛いけど、きっかけがあれば誰だって喋りたいと思っている
という事も分かりました。一歩進む勇気とそれを後押しするほんの少しの何か、で変わるのだと。
皆が喜んでくれて本当に良かった。
本当に楽しかったなぁ。留学生の友達も色んな所に出来ました。
結果的に楽しみながら使える英語が磨けました。

それ以外にも学内のイベントにはアンテナを張り巡らせ
外国人が集まる大学で行われる学会などのイベントでのinformaion係
新しく留学してきた留学生への学内キャンパスツアー
5年の時に大学で開催された大学サミットでのStudent Ambassador
留学生スキーツアー
6年の時のエジンバラ大学の学生の道内旅行などなど…

見つける事が出来た面白そうなありとあらゆるイベントに参加しました。
英語を話すことも一つの目的でしたが
色々な人に会って色々な話しをする事が好きだったので
僕としては最高の実践場でした。
そしてこれらのイベントはアルバイトだったりしたのでお金も結構稼げました(笑)

大学後半の3年間のとにかく人に出会った時期は将来を考える上での大きなきっかけになりました。
「動物のため地球のため」という思考の中に
「人のため」という考えが大きな割合を占めるようになりました。

脇道にそれましたが、ここまでのまとめ。

とにかく英語を喋る。楽しんで実践する。

初めてやった忘れられない英語学内ツアー















~続く

留学のための英語(1)

世の中には色々な人がいて色々な意見や考え方があって
留学についても色々な考え方があると思う。

僕が今このブログを書いている意味は大きく分けて2つ。
1)疫学という物を広めること
2)留学がどんな物か紹介すること

という訳で今回は留学について。
留学の殆どの場合必要になるのが英語です。
そして最も留学を志す者の心をへし折るのが英語です。

僕は日本人の両親の下に生まれ、帰国子女でも無く(2歳の一年間住んでただけ)
平均的な学生と同じく中学生から英語を学び始めました。
という訳で一般的なアドバイスが出来ると思いますので
僕が留学を達成する為に大事だと思った事3つを書きます。
今回はまず一つ目。

1)英語を勉強する

何を当たり前な、と言う事です。そうなんです、当たり前です。
僕は中高時代にあまり真面目な学生ではありませんでしたが(全部一夜漬け)
英語だけは好きだったので、まあまあ頑張って勉強しました。
と言っても主にやったのは高校3年間、NHKのラジオ英会話を毎日欠かさず聞いた事。

ところが。
大学に入って部活だ遊びだ、で全く勉強をしなくなりました。
大学入学時に留学する事は心に決めていたので英語だけは…と思っていたのですが
限りなく何もやらない状態が3年弱続きました。
そこで全ての貯金は無くなり完全に大学生平均レベルかそれ以下になりました。
特に会話は元々得意では無かったのが、本当にひどいレベル(旅行でかなり困るレベル)にまで。

転機は3年生の終わりに、その夏(4年生の夏)のザンビア研修に行ける事が決まった事です。
これを機に心を入れ替え、ラジオを再び聞き始めました。
といっても毎日聞くのは至難の業で週の半分位聞ければ良かった位でしょうか。
それと週一回、大学の英語の授業を取り始めました。
といっても半年ではそこまで伸びず、実際にザンビアに行って
最初の頃は毎日行われる英語の授業はチンプンカンプンでした。

それが半ばを過ぎたあたりから英語に慣れ始め
良い感じの脳で帰国しました。
これを駄目にしたらもう留学は無理だ、と危機感を抱き
帰国後も英語のクラスを取り出来る限りラジオを聞く、という事を続けました。
5年になって時間が出来たので英語の授業を週2回に増やしました。(フランス語も取ってた)
通訳の初期レベルの授業を取ったのですが、これは良かった。
英語の瞬発力が徐々に付いてきました。

流石にそろそろ受けねばヤバい、と5年の秋に先延ばししていたTOEFLを初めて受けました。
一切TOEFLの形式が分からなかったので
ReadingとListeningの参考書を一冊ずつやりました。
5年の夏休みでしょうか。2週間位、毎日図書館で頑張りました。
多分大学生活で一番勉強した時期でした。
その調子でSpeakingとWritingも終わらせるはずでしたが
直前に燃え尽き(笑)結局その2つは手つかずに…。

初めてのTOEFLは超難しくて、超長くて、超疲れました。
しかもSpeakingとWritingはどんな問題形式なのかすら知らなかったため
与えられたテーマについて15秒考えて30秒喋りなさい、みたいな問題に愕然としました。
正直かなり留学に焦りを感じ始めました。

6年になっても何を言われようと、なりふり構わず英語とフランス語の授業を取りました。
タイムリミットを夏の奨学金申請の時期に定め出来る限りTOEFLを受けようと思いましたが
結局何だかんだで6年の夏に一回受けただけで終わりました。
今度こそと思ったSpeakingとWritingの参考書も全く終わりませんでした。
6年生は時間が無かったし何より精神的に英語だけには集中出来なかったので
結果としてあまり勉強出来ませんでした。

とは言え4年生の頃に比べ5・6年生の時は圧倒的にレベルが上がりました。
特に「喋る」能力は主に英語の授業と、次回書く「話す」事によって鍛えられたと思います。

ここまでのまとめ。
英語の授業とラジオが鍵。
そして忙しくなる前にTOEFLを受けるべし。

~続く

ご近所さん紹介

気が付いたら去年も含め近所の写真を殆ど載せてなかったのでご紹介。
これが今渦中のイギリスで生活する僕の日常の一部です。

学校(獣医の方)

入り口(土日と平日夕方は正門閉鎖)

中のカフェ。吹き抜け。骨カフェとして新聞でも紹介された。(一般非公開)

寮(学校のすぐ隣)

あ、間違えた…牛だった…。
いつも寮の所に繋がれてる牛。スカンクに似てる。もう一頭います。

入り口。フラット12に住んでます。

その他近所(説明出来ない物たち)



続く(気が向いたら)

2011年1月19日水曜日

うーむ。

Animal Health Economicの勉強は完全に算数の問題で
難しめの中学入試の算数をひたすら解いている気分になります。

嫌いじゃないんだけどね。いやむしろ結構好き?
複雑なパズルみたいで頭を使いますが鈍った頭には丁度良いでしょう。

感染症のコントロールには大事な大事な経済的観点。
これを知らずに感染症コントロールなんて出来っこありません。

勉強を重ねる度に思うけど
どうしてこういう事や疫学が日本の教育現場で話題に上らないのか
あまりにも不思議です。

去年の宮崎や今回の韓国の口蹄疫。
日本の大学の先生や研究者は何を思うのでしょうか?
そして獣医学生の皆さんは何を思いますか?

2011年1月18日火曜日

ちゃらんぽらん

「菫ほどな 小さき人に生まれたし」

漱石さん、ロンドンの大先輩です。

なかなか大切な仕事が捗りません。
まあでも焦らずに焦らずに。

僕は国の期待を一身に背負ってないからどれだけ楽だろうと思う。
お金を貰って勉強させて貰っている身で不謹慎と思うかもしれないけど
世界各地から派遣されてきたその国では超エリートであろう同級生達を見てると
別次元の重圧下にある事がわかる。
でも同時に根本で彼らを支えているのは国を良くしようという情熱。
そりゃあ四六時中は燃えてられませんが、底力というやつでしょうか。

最近、燃えてますか?
底力出す時ありますか?
頑張ろう自分!頑張ろう日本!

2011年1月11日火曜日

Term 2 始まる!!

ついに2学期が始まりました。
そんな今日は宿題のペーパーを朝の5時くらいまでやってたのでオネム。
本当に、我ながらいい加減このLast minuter具合を改善したいです…
ただ先日友人に、「Last minuterは一生Last minuterらしいよ。」と言われました。

Managementとか一生出来ないんだろうか。それは大分困りますね…。

今期前半の授業はAnimal Health EconomicおよびStatistical Method in Epidemiology。
何と授業はその2科目だけ!!
週にそれぞれ18時間と12時間!!
なんて濃密なカリキュラム。
前者は獣医の大学、後者は熱帯医学校で授業です。

今日は早速Animal Health Economicの授業でしたが
予想に反してかなり面白い授業でした。
大学時代もちょろーっと獣医経済的な授業もあったような…?気もしますが
勉強していくことはもっともっと広い概念のようです。

僕は経済学についてど素人なので当たり前なのかも知れませんが
経済は人の行動基準になっていて
(お金がより儲かる市場で鶏を売るとか…)
人の行動は病気の発生に大きな影響を与えます。
(鶏を市場Aで売るために移動すると鳥インフルエンザウイルスもそれに伴い移動するとか…)

そんな中でインフルエンザウイルスが移動するから市場Aには行くな!というルールを作ったって
鶏商人たちはそれには従わないでしょう。(儲かるから)

じゃあどんな方法で感染症をコントロールしましょうか。
といった(ほんの序章ですが)事を勉強するみたいです。
う~ん面白いですね~リアリティーがあって!

後はどうやったら農家が病気の発生を素直に連絡するようになるか、とか。
これは政府からの補償だとか様々な問題が絡んでてやはり経済的な問題。
う~んAnimal Health Economicはかなり範囲が広そうな分野だ。

ところで日本のお隣韓国の口蹄疫が本当に大変な事になっています。
既に殺処分対象の家畜も130万頭を超えたとか。
大分前からワクチン接種による封じ込め作戦に切り替えましたが
はっきりした効果が出てるのか、ちょっと何とも言えません。
それよりワクチン接種の効果の是非について疑問が上がっている、という韓国のニュースが気になります。
もちろん大事な議論ですが
こんな大発生している状況で揉めてる場合ではないですし。

ワクチン接種の評価は世界でもコンセンサスが得られていない未熟な分野。
接種方法によっても効果は変わるだろうし
どんなファクターが影響を与えるかもきちんと評価されていません。
じゃあきちんと評価して議論しようよって
口蹄疫の被害を経験した日本はもっと積極的に動いても良いのに! と思います。

ちなみに僕の勉強するLSHTMで数年以内に口蹄疫ワクチン接種の評価のプログラムが始まるようです。
トルコとイランをフィールドに実際の今後の口蹄疫発生時のデータを基に
どんなワクチン接種が効果があるのか、などなど評価するよう。
かなり興味深いです。
ちなみにこれに対するPhD奨学生を募集しています。
応募資格は
獣医師でMscレベルで疫学を勉強していること。途上国の経験があれば尚良い。
興味がある方は是非!
http://www.lshtm.ac.uk/prospectus/funding/bloomsbury_foot_and_mouth.html
このプログラムのコラボレーターは僕の指導教官で
僕も応募しようと思っていましたが、やめました(笑)
でも良いプログラムだと思う!
同級生のトルコ人に、絶対応募した方が良いよ、って猛烈にプッシュしておきました。

国内侵入を防ぐのも大事だけど
もっともっとアジアや世界の感染症問題について根本的理由を考えて
日本は積極的にアプローチして欲しい!それが日本の為でもあるんだから!

2011年1月7日金曜日

再開

みなさま、明けましておめでとうございます。

区切りとして昨年まで書いていたブログを終わらせ
今年から新しくこのブログを始める事にしました。

イギリスに来て三か月。
まだ今までの人生の100分の1程しか過ぎていませんが
大きな環境の変化、人との出会いなどで
自分自身にもとても大きな変化が起こりつつあるのを感じます。

一番大きな変化の一つは
今までの自分の人生と自分自身を客観的に振り返る事が出来るようになったことでしょうか。
住み慣れ、感化した日本の環境を離れ、初めて見えてきた事が沢山あります。

その中でも大きな発見は、「無意識の思考の抑制」だろうと思います。
何だかんだ言って僕は良い子ちゃんだったので(笑)
良くも悪くも日本に根付く価値観を受け入れ
自分自身がそれに従って生きてきたことを実感しました。

その価値観は時に知らず知らずのうちに自分の選択肢を狭め限界を決めてしまっていたようです。
これが今の僕の殻です。

多分破らなくても生きては行けるのだろうけど
破った先で出会えるだろう世界の魅力が凄すぎて破らざるを得ないと思います。

逆に破ってしまったら、ちょっと日本社会に適合するのが難しくなるのかもしれません。
でも、良いんです。
個人としてそして疫学者として成長するためしばらくは日本に戻らない決心をしました。
とか言いつつ来年には日本に住んでるかもしれません。
現実は厳しいので将来は分かりません。
あくまで、そのつもり、という事です。

いやいや、しかしあまりにも適合出来ないのは困ります。
こちらにきて一つ確かな目標が出来ました。
将来何年先になるか分かりませんが日本で教育に従事する事。
個人的には面白すぎる心変わりです。

そんな色々な意味を含め
今年は改めて人生の節目の一年になる事だろうと思います。
常識はずれな事を沢山すると思います。失敗も沢山あるでしょう。
でも何と言えば良いか分かりませんが
個人的には心に物凄いゆとりがあります。楽しくて仕方無いです。
めちゃくちゃ若返っています。ふふふ。

本当にここに居られることを多くの人や物に感謝します。
特に伝えたくても伝えられない感謝が届きますように。

それでは今年も時に厳しく叱咤し、時に暖かく見守って下さい。
どうぞよろしくお願い致します。